NECのノートパソコンを落として壊してしまった。
電源を入れたところWindowsは立ち上がるが液晶表示がうっすら
としか見えない!さっそく修理に出すことにした。
ハードディスクは生きていたので、LANにつないでリモートデスク
トップで共有設定したのちバックアップ。これで引渡し完了だ。
自宅までPCを集荷に来てくれて、梱包は業者がおこなってくれて
持っていってもらった。
2日後、故障見積もりの電話があった。
「ハードディスクの交換、液晶パネルの交換、ケースの交換あわせて
96000円になります。」だって。。 orz
それにOSやOfficeつけたら、当初購入額になっちゃうぞ
Noiz:「ハードディスク壊れてないでしょ?」
担当:「アンコロエラーです」
Noiz:「アンコロエラー?!って何?」
担当:「ハードディスクのエラーです」
Noiz:「Windows立ち上がるしログインできるので異常はないと思うけど」
担当:「Windowsは立ち上がりますがアンコロエラーです」
Noiz:「アンコロエラーって何?」
担当:「ハードディスクのエラーです」
Noiz:「ネットワーク経由では大丈夫だったけどどこがおかしいの?」
担当:「アンコロエラーがありまして」
Noiz:「アンコロエラーって何?」
担当:「ハードディスクのエラーです」
おいおい会話が無限ループじゃないか
バカにされているようで修理を断った。
壊れてないとこまで交換だと言いきるNECには不信感あり!
自分で修理してみようと思う。
これってさ、修理というよりもパーツの交換だよね。
壊れた原因の調査する時間がもったいなので、不良と思える部分を
とにかく交換しちゃえってやつ、そっちの方が楽だよね。
っていうかさ、パーツさえあれば誰だってできる。
消費者があまりPCに詳しくないことをいいことに、詐欺られてる気が
する。「利益優先」それが会社だとわかっているけど、あまりに露骨
だと気分が悪い。
もう二度とNECのマシンもパーツも買わないと誓ったよ。
(以前PC98シリーズをNECはサポートしないと知った時もそう思ったけど)
いずれにしても、分解してみてちょっとした接触不良が原因ですぐに
なおったとしたら悪質なリフォーム業者と同じだと思うのだが。。
この話の続きはPCを分解した後日書くことにします。
2006年05月30日
眠れない夜に
想像してみてください。
発射台があります。
その発射台に立った瞬間、一光年先の星に一瞬で移動します。
(一光年 = 光の速度で到達するまでに1年かかる距離のこと)
あなたはその発射台を目指して歩いてます。
そして発射台に立ち一瞬で一光年先の星に転送されました。
あなたは転送先の星から地球の細部まで見渡せる望遠鏡を
持ち自分の姿を見ています。(一年前の自分が見えるはずです)
ずっと見続け、ついに発射台に立つ日が来ました。
そして発射台に立つ自分をあなたは見ています。
さてその先はどうなるでしょうか?
物理の問題だけど、わかる人は答えることができる。
わからない人は、眠れない夜に想像してごらん。
きっと睡魔が襲ってくるよ。
日中に想像するときっと「遠い目」になるだろうな..
発射台があります。
その発射台に立った瞬間、一光年先の星に一瞬で移動します。
(一光年 = 光の速度で到達するまでに1年かかる距離のこと)
あなたはその発射台を目指して歩いてます。
そして発射台に立ち一瞬で一光年先の星に転送されました。
あなたは転送先の星から地球の細部まで見渡せる望遠鏡を
持ち自分の姿を見ています。(一年前の自分が見えるはずです)
ずっと見続け、ついに発射台に立つ日が来ました。
そして発射台に立つ自分をあなたは見ています。
さてその先はどうなるでしょうか?
物理の問題だけど、わかる人は答えることができる。
わからない人は、眠れない夜に想像してごらん。
きっと睡魔が襲ってくるよ。
日中に想像するときっと「遠い目」になるだろうな..
ダビンチコード
これってよくないよ。ダメだよこんなのって。
信者は哀しむぞ。かわいそうだよ。
僕はキリスト教信者じゃないけど、率直にそう思った。
だって信者の人達はどんなに不幸でも死ぬ間際まで手を合わせ
子供から大人まで信じて信じ抜いて祈っているわけじゃん。
迫害を受けた人も、貧しい人も、悲しくなるぐらいにさ。
この映画は、そのような人達も否定していることになるよ。
子供の喧嘩で「おまえのかーちゃんデーベソ」って言う文句が
あるけど、まさしくそれを言われているようなもの。
自分のことはともかく、親の悪口まで「知りもしないくせ」に
なんでお前に言われなきゃいけないんだって。
くやしいよね。この悪口。
信者は神のご加護を信じているのに、この映画はダビンチという
フィルターを通して否定的な見解を述べている。
たまったものじゃない。
「キリストはこうであった」とのダビンチからのメッセージが
この映画は100%正解であったとしても、あくまでもダビンチの
見解であって憶測。
つまり「おまえのかーちゃんデーベソ」と言ってるようなもの。
どんな時も手を合わせて生きて死んでいった人たちのことを思うと
悲しすぎていたたまれない。
ユダの福音書が発掘されたとかも言われてる今日このごろ。
時代が一致するという見解だけで、本当にユダが書いたものなのか
信憑性がない。証明できない限りこれも憶測なんだよね。
憶測だけで言ってのけるってひどずぎる。
なんかこの世の終わりを感じるよ。
マタイ24章3b〜14節
テモテ4章1節
時間があったら上記を調べて読んでみて欲しいな。
僕と同じ気分になるかもしれない。
信者は哀しむぞ。かわいそうだよ。
僕はキリスト教信者じゃないけど、率直にそう思った。
だって信者の人達はどんなに不幸でも死ぬ間際まで手を合わせ
子供から大人まで信じて信じ抜いて祈っているわけじゃん。
迫害を受けた人も、貧しい人も、悲しくなるぐらいにさ。
この映画は、そのような人達も否定していることになるよ。
子供の喧嘩で「おまえのかーちゃんデーベソ」って言う文句が
あるけど、まさしくそれを言われているようなもの。
自分のことはともかく、親の悪口まで「知りもしないくせ」に
なんでお前に言われなきゃいけないんだって。
くやしいよね。この悪口。
信者は神のご加護を信じているのに、この映画はダビンチという
フィルターを通して否定的な見解を述べている。
たまったものじゃない。
「キリストはこうであった」とのダビンチからのメッセージが
この映画は100%正解であったとしても、あくまでもダビンチの
見解であって憶測。
つまり「おまえのかーちゃんデーベソ」と言ってるようなもの。
どんな時も手を合わせて生きて死んでいった人たちのことを思うと
悲しすぎていたたまれない。
ユダの福音書が発掘されたとかも言われてる今日このごろ。
時代が一致するという見解だけで、本当にユダが書いたものなのか
信憑性がない。証明できない限りこれも憶測なんだよね。
憶測だけで言ってのけるってひどずぎる。
なんかこの世の終わりを感じるよ。
マタイ24章3b〜14節
テモテ4章1節
時間があったら上記を調べて読んでみて欲しいな。
僕と同じ気分になるかもしれない。