2006年08月08日

「学問ノススメ」はどこへ行く

福沢諭吉様。
格差社会が広がり、スタートラインに立つのも許されない、今の時代でも学問をススメテくれますか?
たとえ「ゆとり教育」を見直しても、たとえ全員が同じ所得でも、学力の差は絶対に出ます。
比較をして格差をつけるのが、学力テスト。
どんぐりの背比べだったら、どんぐりの背比べとならぬよう、さらなる難問を解くだけの学力を求めてきます。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
学力テストはそうではないようです。
絶えず競争させられ、立ち止まることも許されず、どうしたらいいのでしょうか?

僕は、小学校のころ理科が大好きでした。大人顔負けの知識を持っていました。
でも、成績は非常に悪かったです。
だから、高校になったころには化学とか生物が大嫌いになりました。

中学校のころ英語が大好きでした。
Beatlesの歌詞を英和辞典片手に訳していたこともありました。
でも、高校になってからの英語は文法がうるさくなって、大嫌いになってしまったのです。
いわゆる「落ちこぼれ」というものに属します。
そんなことを思うと、昔の無邪気な自分に同情すらおぼえます。

福沢諭吉様。
学校から、学問をすすめられ、やる気になっても、落ちこぼれてしまうのは何故でしょう。
また、社会に出ると、学校の勉強から役立つことは皆無に等しく、僕達の世界では「学問」など死語になりつつあります。
学校で学んだことについては、何も生かされず、何も役に立たないまま、ほとんどの人は生きているようです。
そして、やりたいことも見つけられずに、時間を明日へと先送りし、今だけの生活を送っています。
というか、少年期に学問に費やした貴重な時間を返して欲しいものです。時間を弁償してもらいたい気持ちにもなります。
そんなふうに思っている人達が大勢いるとなると、嘆いてしまいますよね。


僕は今の職につく前、上場企業の管理職だった。その時にはよく面接をした。
「どうして当社の面接を受けに来たのですか?」と聞けば
「やりがいのある会社だと思ったから」とか、「自分の能力を発揮できると思うから」等、青い奴等は平気で言う。
いつも僕は「働いてもいないのに、判断できるわけないでしょ」と思い、さらに聞き返していたが、こちらとしては、借りてきた綺麗な言葉よりも、自分の言葉できちんと話してくれた方がうれしい。
なぜなら、自分の意思を相手に伝えれる人間か否かを判断するために、聞いているからである。
また、仕事をやめる時は「自分に合っていないので」とやめていく。
いずれにしても、「自分がやりたいこと」という言葉が「綺麗な言葉」になっているので気安く使うのであろう。

「自分がやりたいこと」という言葉は、そんなに綺麗な言葉でも、軽々しく言える言葉ではない。
自分というものを知らないのに、「自分に合ってる、合ってない」という判断などつきっこない。
自分というものを見つめてもいないのに、「自分のやりたいこと」など、見つかるわけがない。

多くの人がやりたくない仕事をやっているからこそ、この社会は成り立ってる。
たとえ、やりたいことを見つけ、それで食べていけるのはわずかな人だ。
いや、お金にならなくても、本当にやりたいものを見つけて、続けられる人は最高の幸せを持っているものだと思います。
posted by NoiZ at 11:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記