2006年10月06日

喜びの見つけ方が下手な人ほど刺激を求めるもの。

「彼氏」は損な役回りだと常日頃思います。
「彼女」に厳しいことをある時には言わなければいけません。
でも、「彼女」のことを大切に思っていなかったら、甘い言葉だけで済ませることができますよね。
特に「くどくこと」だけを目的とすれば、煩わしい言葉を言わなくても済みます。
このように、甘い言葉だけに反応し、なびく女性が多いから「彼氏は損な役回り」という図式になってしまうのです。

ジェネレーションギャップも同様、大人が子供に向かって、くどいても、しかっても、通用しないのはここにあります。
わかりやすく書くと、結婚している人が、ちゃらちゃらしたガキに、結婚生活のことを語っても絶対わかりっこない。
と書けば、わかりやすいかもしれません。

「最大のライバルは興味がないこと」
なぜなら、厳しい言葉には「興味がもてない」からです。
ありとあらゆる言葉の表現を身につけたとしても、興味を持ってくれなければ話になりません。
「ふーん そうなんだ」で、終わってしまいますよね。
挙句の果てに「難しいことわかんない」と言われるのがオチ。
世の中には甘い言葉が氾濫しすぎているせいなのか、たとえそれが、真実であるとしてもです。
あなたならどう対処します?

下の関数を利用してみてください。答え(return)が返ってくるかもしれません。
クラス名:[甘い言葉だけに反応する人]

関数名 :「喜びの見つけ方が下手な人」

引数 :「子供」
return:「刺激を求める」

引数 :「社会人」
return:「孤独」

引数 :「年寄」
return:「頑固、意固地」

例:日本語の文章にすると 引数:子供
「喜びの見つけ方が下手な奴ほど刺激を求めるため、甘い言葉だけに反応する。」
という答えです。
またこの文章はClassになっており、冒頭の「彼氏」に「父親」を
「彼女」に「子供」を代入しても同じFunctionだと思います。

書いてて、わっけわからん。
もう寝ます。この日記。起きたら削除してるかもしれません。。
posted by NoiZ at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

北朝鮮は「けだもの」だ

人と動物の違いは「隣人を愛せるか、愛せないかの違い」につきると僕は思う。
他にも色々あるじゃないかと、言われるかもしれない。
人間は動物と違い、道具を使うだとか、火をおこすだとか、無駄な殺生をするとか・・
しかし、それらの事は人と動物の精神の違いの前ではささやかな違いでしかない。
動物は同じグループに限って言えば、組織化して補いながら生きることはできる。が、違うグループまで面倒はみない。むしろ敵対する。
しかし、人間はそれらの動物とは違い、たとえば、他国の子供でも無邪気な笑顔を見れば愛してやまない気持ちを共通に持っている。
困っている人がいれば他人でも助けようという気持ちがわく。実際に行動にうつせなくても、気持ちがあるのとないのとでは大違いだ。
そのように、人間は隣人を愛することができる、唯一の動物だと思う。
逆に言えば「汝隣人を愛せ」それが人間らしさにつながるキーワードだ。

そう思うと、核実験をおこなう北朝鮮はいったい何を考えているのか。
自分達の欲望だけに生き、他国のことを考えない。「隣人を愛せない」種族なのか。
人間として未完成すぎる。いや、はっきり言ってしまえば、動物とまったく同じだ。
このままいけば、動物の最低呼称である「けだもの」の部類に属する民族だと言われても仕方がないだろう。
人間らしさのキーワードに早く気づいて欲しいと願っている。


魅力的になるには--「らしさの確率」--
「核実験実施する」北朝鮮外務省が声明
posted by NoiZ at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

つらい夢を見た。

悲しみは希望が消えた時にやってくる。
では「つらさ」は?

今日 つらい夢を見た。
僕は歳を取っていて体が不自由となり、歩くこともままならずベッドでの生活。
友達も話し相手も誰もいない。孤独な毎日を過ごしている。

そんな設定の夢の中で、僕は夢を見ていた。
大好きなペットの犬(チャチャ)と散歩している夢。
チャチャに「楽しい?」って声をかけたら、笑顔でこっちを振り向いた。
その瞬間、年老いた自分の夢がさめた。

「チャチャはもういない。元気に歩ける自分ももういない。」とてもつらかった。
この夢が現実のものだったらと、どんなにうれしいことかと、ベッドの上でひどく落ち込んでいる自分がいた。

その時にやっと夢からさめ、本当の現実に戻ることが出来た。
いつもなら「夢でよかった」とほっとするものだが、今なお、つらさが残っている。

頭の中ではこの世の無常も真実も合点している。だが、心の中までは穏やかではないようだ。
夢で見たようなことを考えると「ボケたら楽かもしれない」「死んだら楽かもしれない」そんな後ろ向きの答えしか出てこない。
今のうちは、無理してでも、自分を欺いても「希望」を見つけることができる。
でも、夢の環境下になったとき、窓から見える景色だけを頼りに希望を見つけることができるものなのかと、考えた一日だった。

幸せのキーワード
posted by NoiZ at 05:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記