北京五輪の日本代表監督について、「長嶋氏は候補の1人になると思う」と
いう発言を受け、「常識外れと言わざるを得ない」と書かれてあるコラムがあった。
僕もそのコラムに書かれていることに同意見。
編成委員会の長船騏郎委員長は「何を考えてるんだか」と思った。
そして、しらけた気分になった。
その時、「このしらけた気分。どこからどうして来てるんだろう?」って不思議に思えたので自分の心の中をデバッグしてみた。
五輪と言ったら国民的行事だ。
そんな行事に大義名分なしの選出には国民が納得するわけない。
どうして長島監督なの? 素直に思う。
たとえば野村監督を選任した場合の大義名分として
「ID野球で勝ち上がるため」とか、
星野仙一監督の場合は「戦闘集団を作り勝ち上がる」とか、
落合博光監督の場合には「卓越した打撃理論は優勝に役立つ」とか
想像するだけで色々あるけれど、「選ぶ理由」というものが必要。
「大義名分」が無ければ誰も納得出来ない。
今の長島茂男さんにそれがあるのかと考えると、想像できないんだ。
悲しいことに。
これと言った理由もなく選ぶということは、関係者の「エゴ」を振りかざしているだけに見える。
そのエゴをまともに受ければ誰しも反発したくもなる。
で、「勝手にやったら?」としらけて、野球人気はますます急降下。
どうしてこの図式に気づかないんだろ。
いつだって、エゴをふりかざすので、僕らはしらけるんだ。
ここまで考えて、しらけた理由に納得できた。
エゴを振りかざされば誰しも反発したくなり、離れたくなる。
そして、まったく興味がなくなる。(政治離れと似たような感覚だ)
プロ野球人気の低迷。それは、エゴを振りかざす人が多すぎだから。
なんか、自分の気持ちがわかってすっきりしたけど、淋しくなったな。
とりあえずこういうアホらしい世界は、すっきり忘れるに限る!
さあこれからW杯だっ(嫌味デス)
2006年06月18日
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