獏虫が足をひきづるアスファルト。ここで死んでも本望か。 By NoiZ
子供の頃、夏にときめいた。
地面を掘り起こしては、何かの幼虫を捕まえ「カブトムシになるかも」と想いをはせていた。
また、カナブンの首に糸を結び飛ばしていていたし、箱の上でカブトムシ同士の対決をさせていた。
当時は「命の尊さ」などまったく思わなかった。でもこれらの遊びは「夏限定」だったため、昆虫を大切にしていた。
季節が変われば、はかなく死んで行くのだから。(遊び方と矛盾しているが。。)
そして学んだことは「思い通りにならない」という、もどかしさを学んだものだった。
捕まえた幼虫はカブトムシにはならなかったし、昆虫同士バトルさせたくても、いつも両者箱の上から逃げてしまう。たとえ戦ってもほんの一瞬で感動する間もない。
糸につなげたカナブンも思うように飛んではくれず、数秒で着陸してしまう。
昆虫と遊べば遊ぶほど「思い通りにならない」ことを繰り返し学んだ。
大人になって、小さな命に大しても分別がつくようになりました。
思い通りになるもんじゃない。だからそっとしておいてやろう。エゴをふりかざしてはいけないものだと。
冒頭の短歌は「小さな命でも懸命に生きている」という思いで作った短歌です。
虫でさえ土の上で自然に死ぬのが本望なはず。必死で生きようとしている姿に「はかなさ」があります。
(本当は人間が虫や動物に対して「人間に生まれればよかったのに」と思う人間のエゴを表現したかったのですが。。)
【産経抄】7月3日を読み、同じことを思いました。
今の子供達は「もどかしさ」や「はかなさ」を学ぶ機会あるのだろうか?と思っていました。
プログラミングをする際、フローチャートを作ります。
処理の手順を図式化した流れ図ですが、ある「答え」を導くためには、ここでこうなってこうなるからこういうイベントが必要だ。というものです。
「人生」というプログラムの中で「はかなさ」というイベントプロシージャがないフローチャートは、このようなバグが潜んでいるような気がしてなりませんし、矢鴨や、ネコの首切りなど同じフローチャートから導かれた答えのような気がします。
*獏虫(ばくむし)
実際にはそんな虫いません。「なんだかわからない虫」ということを表現した造語です。
2006年07月03日
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