ドイツ国民は国旗や国歌を掲げるのに慎重な意識があると何かの本で読んだ。
それは、国民意識の中で過去に犯した過ち(ナチス政権)があり、国旗や国歌を振りかざすのにはその時代を彷彿させるからであると。
だから今回のW杯で他国の人の目に掲げている姿を見られたくないという意識も多大にあったそうだ。(「ドイツ ヒットラー 国旗」と検索すれば色々なソースが出てきます)
日本人にはそのような意識があるだろうか?
サッカーを応援する今の若者だけに問うのではない。団塊の世代、それ以上の人達もすべて含めてだ。
以前は必ずと言ってもいいほど、建国記念日はもちろん、祭日が来ると軒先に日の丸が立ててあったし、今の教育では君が代斉唱を義務づけしている。
それがいい悪いということを議論しているのではなく、おそらく、日本人がドイツ国民と同様な意識を持っていれば「祭日には日の丸」の家も少なかったものだと思うし、さらに言えば靖国神社に戦犯を祭ることもなかったかもしれない。
戦後教育の中で僕達は「日本は戦争に負けて、何もないところからみんなでがんばって裕福になった」としか受けていなかった。
そこから導かれる思想は、「日本は原爆を落とされた被害者で、そして0から這い上がった勝者」であるという思想だ。
そのような背景の日本を諸外国から見れば、「日本人は戦争のことを忘れ、そしてコイズミはヒットラーの墓のような場所に参拝しに行っている」としか見えないだろう。
A級戦犯をヒットラーと一緒にするな!というのは日本だけの意見であり、日本に理解のない諸外国に通用するわけがないのですから。
また、ドイツ国民は「戦争への反省と慰霊を込めた不戦への誓い」の理由を掲げてナチスを参拝することはないだろう。
なぜなら現在でもドイツは戦争犯罪者を追及しているのだから。決して終わってないんだ。
そのようなことを思うと、日本国民よりドイツ国民のほうが過去の過ちに対してより重く考えているように見えるんだけど、違うのかな。
総じて日本国内で決着をつけるべき問題であり「終わったこと」として捕らえてはいけない気がする。
決着をつければ、もしくは、国内で十分に論議していれば、諸外国から何を言われようが関係ない。
そんな姿勢がないから、諸外国からガタガタ言われた時に世論もガタガタしてしまう。
コイズミさんのヤスクニサンパイ。靖国参拝をやめたとしても中国、韓国は違うことで難癖つけてくるに決まってます。
ひょっとして「中国」に対しての「好きに言われてたまるか」との反骨精神の表現?
だとしたら、そして総理大臣という立場がなければ、どこか「はかなげ」でつっぱり少年のような感じにも思えてきます。
関連ソース
小泉首相、自身の靖国参拝に「影響ない」
2006年07月20日
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ドイツ国民の戦後意識については興味深いですね。
ただ、彼らは国防軍が戦地で犯した戦争犯罪については認めたがらないという話を読んだ事があります。「ナチス」という存在は、彼らにとってある意味格好の逃げ道になっていると言う側面もあるではないでしょうか。
「中国、韓国は違うことで難癖つけてくる」であろう事は全くその通りだろうと思います。頭の痛い問題ですね。
あと中韓がただの"日本に理解のない諸外国"ではなく"超反日国家"であり、近年では軍事力でも経済力でも日本とはライバル関係にあるというのも態度を硬化させる要因なのでは。また靖国参拝をやめても…のくだりの通り、譲歩しても何も得るものがないどころか、失うものだらけなのが日本なのです。そういう意味では靖国は砦でしょうか。
最後に(記憶違いでなければ)日本と引き合いに出されているドイツですが、ホロコーストについては謝罪と賠償を行っていますが、他国への侵略行為についてはそのどちらも行っていないはずです。全てはドイツ国民を煽動したナチスが悪いのだと。冷戦中は分裂しているから、だったかな。
確かに「自分達(国民)は悪くない。すべてナチスがやったことだ。」ということはありますね。
そしてナチスを礼賛する言動やホロコーストを否定する行為は違法行為ですよね。
ナチスの犯した罪の重さ、戦争の悲惨さを認識しているという背景があります。
しかし、日本には自国が犯した罪については無関心というか戦後教育になかったせいか良くも悪くもそのようなことがなく、「平和ボケ」と言われる所以かもしれません。
小泉首相の靖国参拝。色々な議論を提供してくれました。
もっと我々国民が関心を持って議論をつくさなければいけませんね。
議論することにより、それこそ「戦争への反省と不戦への誓い」が継承されて行くと思います。