今一度、遣隋使を送ろう。
そして言ってやれ、「和をもって尊しとなす」と。
戦争犯罪者を祭ることは「TAO」という思想があるように、自然の流れであり「汝隣人を愛せ」という思想や、「慈悲」という思想と同じなんだとね。
日本はこういう国なのだから、ごちゃごちゃ言うなってね。
と、諸外国に言えればどんなにスッキリすることか。
「犬も歩けば棒にあたる」をあらため、「犬も吼えれば利権とリンク」という難しい世の中です。
きっとイエス・キリストもゴータマ・シッタルダも老子も聖徳太子もみんな嘆いているだろうな。
関連リンク
靖国問題 「中国は解決を日本に任せよ」
「諫死論」は「欺瞞」だったのか?
「ドイツ国民と靖国参拝」
2006年07月24日
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単純に言うと、まさしくその通りで「諸外国は内政干渉するな!」というのが僕の考えです。
しかし、日本国内では、さらなる議論を尽くすことが必要だと思います。
(ただ、日本のゴタゴタに便乗する手合いが気に入りませんが。。)
そう考えると今のスタンスもありかなとも思えてきてしまいます。
いずれにせよ色々な考え方があり、非常に難しい問題ですね。
まずは自国を肯定する。アメリカくらいになると行きすぎですが、自国の考えを他国に押し付けるくらいの気概を国家レベルでもって欲しいですね。
そこを出発点にして、議論なり、今ある問題に立ち向かっていって欲しいと思っています。
日本は単一民族なので宗教観の違いや思想の違いといったようなものが目立たないので、主張しなくとも「以心伝心」から通じるであろうという「信頼感」もしくは「甘さ」がありますね。
これがアメリカのような他民族国家ですと、主張しなければ生き残れない、また法律や契約等でぎちぎちに縛らないとやっていけない部分があるのでしょう。
しかし、最近では裏づけのない快楽主義的な「主張」だけが目立つようになって来たように思います。以心伝心を悪用していると言ってもいいでしょう。
今一度「日本人らしさ」を思い出して誇りを持ちたいものです。
そして、中原様が言われる通り議論を重ね、磐石な意思を形成し立ち向かって行きたいものですね。