2006年07月26日

僕らはシュレーディンガーの箱の中

箱の中の僕らは、幸せになりたいと願っている。
でも最近、箱の中を見渡せば「戦争、犯罪、弱者」等の、危険な装置と隣り合わせだということがわかったきた。
そして、えもしれぬ不安に苛まれ満たされることはなく、「帰納法」から答えを導くようになってしまったんだ。

「どうせがんばったって幸せになんかなれっこない」と思い始めてしまった。
まるで、すっぱいぶどうのきつねのように。
箱の外にいる偉い人達は今日も議論している。僕らについて「幸せ」か「不幸せ」かと。


シュレーディンガーの猫 (量子力学におけるパラドックス)
箱の中に「毒ガス発生装置」と「ネコ」があり、その装置はいつ作動するのかわからない。
作動していれば箱の中のネコは死を意味し、作動していなければネコは生きている。
そのような状況下で「箱の中のネコは生きてるか死んでいるか計算せよ」という量子力学からの問題点。
確率(量子力学)で現象を説明すれば「猫は生きていて、なおかつ、死んでいる」という答えは矛盾(パラドックス)が生じる。
(真実は「生か死か」この2つしかないのに、「半死の状態」などあり得ないからだ)
これ以降の説明は難しいので下記リンクを参照してください。
シュレーディンガーの猫の核心
シュレーディンガーの猫

帰納法 (フランシス・ベーコンの哲学)
過去の事例(データ)から現在の答えを導く方法
「Aさんは走る」「Bさんは走る」「Cさんは走る」
「Aさん、Bさん、Cさんは人間だ」よって「人間は走る」という考え方。

「首相のAさんになってもよくならない」、「首相のBさんになってもよくならない」、「首相のCさんになってもよくならない」
よって「首相が変わってもよくならない」
これらのデータをぶっこわしてくれる人に期待を求めた数年前。
ところがである。
「生活に困りAさんが自殺した」「生活に困りBさんが自殺した」「生活に困りCさんが自殺した」
よって、帰納法で言えば「今の社会は生活に困り自殺者を出す」

すっぱいぶどう (イソップ物語)
きつねが森を散歩していたら、「ぶどう」が枝から垂れ下がっているのを見つけました。
きつねはぶどうを食べようとジャンプしましたが高くてとどきません。
そこできつねは「あのぶどうはすっぱいんだ」と、自分に言い聞かせ立ち去りました。
posted by NoiZ at 10:17| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
シュレーディンガーの箱の中とは上手い表現ですね。
物理ではブラックボックスの不確実性から来る「不気味さ」まで計算できませんし、また忘れがちです。
社会情勢といい、温暖化現象といい、不気味な世の中になりました。
Posted by 村雨丸 at 2006年07月26日 14:20
村雨丸様
物理と哲学ってけっこう通じるものあるんですよね。
例えば、よく言われるアインシュタインの野望は「すべての因果律を求める」だったと僕も思うんですよ。これは仏教の「因果応報」ですよね。
またホーキングの「時間順序保護仮説」を目にしてもどこか哲学を感じます。

そのようなことから「創造性」という演繹(えんえき)なくして仮説は生まれないような気がしますので、物理の出発点は哲学からという気がします。
Posted by NoiZ at 2006年07月26日 15:18
はじめまして。
毎日楽しみにして読んでます。
しかし、このコメントに因果律が因果応報と同じようなものと書かれてありますが、NoiZさんは因果応報についてご理解されているのでしょうか?
疑問に思いましたのでコメントしてみました。
Posted by みかん at 2006年07月26日 17:19
みかん様
新興宗教での因果応報まではわかりませんが、一般的(親鸞聖人等)な因果応報については理解しています。
悪因悪果
善因善果
自因自果
この3つです。
そして因果応報により六道輪廻するといわれ、いわゆる「悟り」というものはこの輪廻から解脱し浄土に行くとされます。
つまり、「仏教の目的」というのは、「因果応報の真実を悟り、極楽浄土に行くためのものである。」と結論付けられます。
また、「因果応報」は正確には「因縁果応報」といい、「原因」があっても「縁」がなければ「結果」は返らないところからそう言われております。

余談ですが上記の目的を理解したということは「合点」という言葉で表現され、お経は「真実に近づけるための手段」であり、これを「方便」と言いますね。

僕は信心深くないですし、宗教家でもありません。そして新興宗教など気嫌いしているので、仏教の言葉を借りると「煩夫」です(^^;
しかし、仏教やキリスト教が優れている点は、どの角度から見てもゆるぎない理論があります。
新興宗教等はこうもいかず、教えの「前提条件」で「なんで?」と疑問に思うことが多々あり、強引な決めつけが多いです。
仏教での前提条件は因果応報と言っても過言ではないでしょう。
そういったことから、「完成された哲学」という観点から見えてるだけです。

みかん様のコメントの内容から言って、みかん様は仏教について興味があるか詳しい方だと思います。
もしここに書いたことに誤りがあれば、ご指摘いただければ幸いです。
そして楽しみにしていただいて、うれしい限りです。
またよろしくお願いします。
Posted by NoiZ at 2006年07月27日 07:42
私しのぶしつけな質問に、こんな丁寧な説明していただいてびっくりです。ありがとうございました。
説法を聞いてるような気分になり驚きを隠せません。
これからもがんばってください。
Posted by みかん at 2006年07月27日 17:53
みかん様 ありがとうございます。
なんか宗教を持ち出すと怪しくなりますよね。
ちなみに僕は新興宗教などは、気持ち悪さを感じてしまい、生理的に受け付けません。
新興宗教は「根拠のない言い張り」「根拠のない理屈」で人を威圧している感じがして反発さえ感じます。
とりあえず、宗教サイトじゃないので引かないでくださいね(^^;
Posted by NoiZ at 2006年07月27日 19:36
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