2006年07月31日

シーソーの幸せ

公園のシーソーの幸せっていつだろ?
つりあった時?ギッコンバッタンしている時?
でもいつまでも繰り返してたら飽きてしまうよね。
つりあったらギッコンバッタンしたくなるし、ギッコンバッタンしてたらつりあいたくなるし。。
結局よくわからないけど、ふたりで乗らないシーソーは不幸せなことは確かだ。

シーソー イコール 人生
安定をのぞめば刺激が欲しくなり、刺激に疲れれば安定が欲しくなる。
公園のシーソーと同じ。
そしてパートナーも必要だってことを伝えたい。
posted by NoiZ at 07:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 鏡のない部屋
この記事へのコメント
NoiZ様 はじめまして
このような文章の着眼点はどこから出てくるのですか?
公園のシーソーを擬人化するという発想が新鮮でした。
Posted by 不知火 at 2006年08月02日 17:00
不知火様

「着眼点」なんて大それたものはないです。
また、文章を作るため、何かを考えることもないです。
ただ、点が線としてつながった時、文章にします。

強いて言うなら、僕は「演繹法」に基づいてるような気がします。
仮説をたて、その仮説を実証していくというやり方です。
仮説は大胆なほうがいいでしょう。
それを実証するための素朴な出来事を集めます。
「仮説」という「点」から「素朴な出来事」の「点」を結び線とする。

なんか書いたらカッコイイ。
でも、そんな大それたものじゃないですね。 
ただ、言葉と言葉の組み合わせが好きなだけです。
Posted by NoiZ at 2006年08月03日 11:13
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