日本のことわざに「郷に入れば郷に従え」というものがありますよね。
僕らが海外に行ったら現地の人に日本語で会話しようとは思わず、英語か現地の言葉で話すように努力するでしょう。
「郷に入っても郷に従わない」ということは個人のエゴに通じるものなので、「日本語が通じない!」って怒る人はまれでしょうね。
「おまえ何人や」差別発言と顧客提訴の社員
ハングル文字で書かれた名刺を差し出されれば、誰しも「どこの人?」って聞くでしょ
ここは日本なのです。しかも会社人間が顧客に、ハングル文字で書かれた名刺を差し出すなんて、「お前が俺を理解しろ」という「エゴをふりかざしてる」としか言い様がありません。
この「デリカシー」のなさの方が問題だと思うので、「ようこんな名刺出すな」って思うのは当然です。
とりあえず、記事だけを読めば「これしきのことで?」と思います。
トラブルに発展する前にもっと色々あったはずです。そう信じたいものです。
でなければ、提訴した人は「ただのバカ」です。
いずれにせよ、社会人にとって相手とのコミュニュケーションは大切なことです。
その一助としての名刺は重要なものであり、意味不明な名刺はコミュニュケーションを阻害する危険性があります。
っていうか、「子供のお使い」じゃないんだから、普通の社会人だったらわかるはずなんですけどね。
2006年08月02日
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右翼社員差別した顧客 扶桑社が提訴
Excerpt: 資料写真: 日本が「神の国」だった時代―国民学校の教科書をよむ → amazonで詳細情報を確認 中堅出版社の扶桑社(フジ・サンケイグループ)が、自社社員に対し差別的な発言を行ったとして顧客..
Weblog:
Tracked: 2006-08-08 11:55
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右翼社員差別した顧客 扶桑社が提訴
Excerpt: 資料写真: 日本が「神の国」だった時代―国民学校の教科書をよむ → amazonで詳細情報を確認 中堅出版社の扶桑社(フジ・サンケイグループ)が、自社社員に対し差別的な発言を行ったとして顧客..
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韓国や北朝鮮が好きでもありませんし、むしろ、かの国のあり方には疑問を抱くことの方が多い、ということをお断りしておきます。
こういう事を断っておかないと、どこぞの掲示板のようにすぐ食いついて来る人がいるやもしれませんので。あしからず。
> ハングル文字で書かれた名刺を差し出されれば、誰しも「どこの人?」って聞くでしょ
この件は「おや、どちらの国のご出身ですか?」と聞かれたということではないでしょう。
「おまえ何人や?」です。挙げ句に「おまえみたいなのがいるから拉致問題が...」です。合理的な話ではありませんね。明らかに蔑んでいます。
> 会社人間が顧客に、ハングル文字で書かれた名刺を差し出すなんて
ハングルだけで書かれていたわけではないですよね。
漢字とハングルが併記されています。決して意味不明ではないです。
漢字に英語表記で氏名を併記している名詞はよくありますね。
英語表記は良くて、ハングルはいけませんか?ハングルはデリカシーがありませんか?
かくいう私も、ハングルの入った名詞を差し出されたら、一瞬、ちょっと引きますね。(笑)
だからといって、たとえ自分が顧客の立場であったとしても、それを理由に相手を蔑むような言葉を使う気にはなれません。
どうも、自分が「客」という立場に立つと途端に偉くなる人が多い気がします。たとえ日本人同士であっても、です。客にも客としての礼儀があるでしょう。
客だから何を言ってもいいというわけではないはずです。
また、顧客を提訴するということの是非は別問題でしょう。
実際にどの程度のやりとりがあってこのような事態に発展したのかは、記事を書いた記者にもわからない、当事者のみが知るところでしょう。
しかし、ご自身も書かれていますが、記事にならない、相当な罵詈雑言がこの営業マンに浴びせられたことは容易に想像できますよね。提訴に至る、しかも一大企業がそれを支援するからには相当の理由があるんでしょう。
もし、この記事が、日本人の若い女性営業マンに対する顧客のセクハラが原因だという事であれば、世論はどう傾いていたでしょうね。営業なんだからそのくらいは...と声高に言えますかね。
このブログを拝見する限り、NoiZさんはかなり聡明な方とお見受けします。
そんな中で、この記事には少し違和感を覚えましたので、不躾ながらコメントさせていただきました。
ご指摘ありがとうございました。
ブログを書いた後に色々調べたら、通りすがり様が言われてるような事実が色々出てきて、書いてしまったことに後悔をしました。
もっと情報を得てから書くべきだったと、軽率な自分に反省しております。
そこで思ったのですが、(話はまったく変わりますが)インターネットが普及するまでは、私達の情報は新聞やニュースが主でした。
報道されたものに対して真意を調べようがなく、自分の身近な報道内容がすべてだったような気がします。
それが今の時代となって、朝日新聞の報道、産経新聞の報道等、容易に比較できるようになり「局によって真意が微妙に違う」ということがわかって来たんですよね。
今回の件で、僕の頭の中はiZaのソースがすべてだったようにもし、このニュースがiZaだけでしか知りようがなかったらと思うとぞっとします。
同時に、以前はみな同じ方向性に偏りやすかったのが、インターネットの普及により個人個人が「方向性の選択」をまかされている気がしました。
これは「大人の時代」というべきか、もっと成熟しなければいけませんね。
そして「大人の時代」について、今後どうあるべきか、どうなっていくのか、これから自分なりに考えて行こう思います。
正直、ほっとしました。(笑)
#名詞>名刺、でしたね。失礼しました。
情報が溢れかえる中、真実を見抜くことが本当に難しくなりましたね。
> 同時に、以前はみな同じ方向性に偏りやすかったのが、
いや、情報が限られていた時代は、それはそれで真実を知ることは難しかったのでしょうけれど、少ない情報からいろいろな想像をかき立てられて、各人が自分なりの解釈をしていたように思います。「行間を読む」ことができていました。想像力がありました。その分、今以上に誤解もあったのでしょうけれど、でも、そんな中で築かれる人間関係の方が、より人間らしかったんじゃないかと。
今や、マスコミだけでなくいろんな立場の人間が情報を発信できる時代ですから、多様な見識が現れても良さそうなのですが、実際にはどこも同じような論調で情報が流れ、結果、世論が一方に流されていることが多いような気がします。マスコミの論調がそのまま自分の意見になり、そして「自分の意見が世論だ」と錯覚する人も少なくないですね。
中高生なんか「テレビで言ってた!」...これだけで彼らにとっては真実ですよ。怖いですね。
私は流されやすい人間なので、だまされないように(笑)良い意味で懐疑的なものの見方を心がけることが、この情報の波の中で生きていくのには必要かな、と思っています。
>マスコミの論調がそのまま自分の意見になり、そして「自分の意見が世論だ」と
>錯覚する人も少なくないですね。
綺麗な言葉でまとめてあるだけに、メディアの意見が正義だと思いがちなんですよね。
そして「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」とか、それに従えば安心という気持ちもありますよね。
そうやってメディアを甘やかし続けた結果、TBSのような局を生んでいるような気がします。
僕はデジタル放送に期待しています。
今までの一方通行だった情報が、インターネットのように双方向となるおかげで、世論がすぐに集計されるでしょう。
また視聴率、クレーム等も即反映されるようになり、今までのようにはいかなくなるかとも思えます。
(ただ、世論も二極化し、それに合わせて番組内容も二極化して排他的になるような気もしますが。。)
それにしても、ホントに「情報の波の中」だと思います。
事実を知ろうと思うと、泳いでたどり着くまで時間がいくらあっても足りませんよね。
仕事がたまりにたまってます(^^;
最後に「行間に想像力」素敵な言葉ですね。
個人的には想像の中に情緒もあるのですが、情報だけの世界では情緒は見つかりません。
「行間に想像力」と聞いた時、情報に流されて自分の好きな「情緒」を見失わないように気をつけたいとも思いました。