「教えは3000年後には滅びるだろう」という釈尊からの伝え(末法)があります。
その「3000年後」というのは、今の時代です。
その要因は何だろうかと、たまに考えることがあります。
今日、目に飛び込んできたのが、ちびっ子達の得度式の写真。
クリクリ坊主でかわいいと、第一印象で思いますが、そもそもこの「得度式」とは、「仏の教えを聞いて学び僧侶になること」を言います。
厳しさとは皆無で、ちびっこたちの得度式を見るたびに、ただのアトラクションとしか思えません。
(ちびっこを送り出した親に怒られるかな。)
「人生の目的」を忘れた僧侶達
実際、高台にいる僧侶達は何をやっているのだろうかと思います。
「そんなことを言ったらバチが当たるぞ」と言われるかもしれませんが、あえて苦言を言わせていただきます。
まず、彼らはどのような社会貢献をしているのだろうかと思わずにいられません。
そもそも、彼らの本分は「悟りを開くこと」につきます。それが仏教で言う「人生の目的」です。
そして、仏法を布教をすることも大切な役割としてあげられます。
しかし彼らは、そのような本文を忘れ、宗教法人という特典を最大限利用し、豪華な施設を伴ってます。
「宗教法人も税制改革」と言われたとたんに、ガタガタと言う僧侶達は詐欺師としか言いようがないです。
たとえば、名古屋の大須観音の住職などは、駐車場や電気店等色々な経営を手がけています。
本来なら、そんな暇があったら悟りを開くために、なんらかの修行を積まなければいけないはずです。
もしくは、1時間税務署と話す暇があれば、1時間説法をするのが本来の仕事のはずです。
何度も言います。彼らの本分は「悟りを開く」ことなのです。
悟りを開くのにお金など必要ないでしょ。お金という煩悩をため込む大馬鹿者です。
達磨大師は、壁に向かって九年間、座禅を組んでも悟りを得られませんでした。(諦めた時に悟ったといわれる)
このように、人生の目的である「悟りを開く」ということは、それほど厳しいものなのです。
しかし、「人生の目的をこのようにして実行している」という僧侶の話を聞いたことがありません。
また「悟りを開いた」という僧侶がいることも聞いたことがありません。
創価学会のように、高額なお布施を要求する団体や、豪華な施設の高台にいる僧侶達。
彼らは本気で悟りを目指しているとは到底思えないのです。
仏教が滅ぶ最大原因は今時の僧侶達にあると言っても過言ではない気がします。
織田信長は今の僧侶達を見てなんと思うのだろうか。。
街中に火の手があがるかもしれませんね。
仏教に関する知識度は低い。
例えば、仏教には「天国」という考え方はない。
俗に言う「地縛霊」や「守護霊」という霊魂の存在などもない。
そのような事実を多くの人は知っているだろうか? おそらく知らないと思います。
知らないということは、坊主がさぼっていることに直結すると思うのです。
知ろうとしない我々も悪いのですが、高額なお布施を得ているのにかかわらず布教しない坊主はもっと悪いと思います。
髪を切るのは煩悩を頭から抜けやすくするため。
髪をのばせば外部からの煩悩を遮断するが、逆に煩悩をためやすいと言われている。
そのような理由から、僧侶は坊主にする。(宗派にもよる)
そういえばこの時期高校球児も坊主とまではいかないが丸刈りにする。
なんのためかまったくもって意味不明。
野球に打ち込むことを修行と称して、煩悩を抜けやすくするためなのか?
ちなみに僕は、宗教家ではありません。無宗教です。
新興宗教など大嫌いです。
奇跡とかは信じますが、それを宗教と結びつけて考えるのは悪寒が走ります。
創価学会マスゲーム
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2006年08月06日
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子供心に、警察官は正義の味方で、お坊さんは徳の高い人で、学校の先生は偉い人でというような意識があったものです。
ところが、大人になってよく見てみると、みな一般人と同じ。
ただ自分の職務をこなしているだけにすぎない。という評価に変わりました。
別にそれはそれでいいのですが、ただ一般人と同じにかかわらず、一般人とは違う特典があるんですよね。
そこにどっぷりつかって甘えてる気がしてなりません。
お坊さんが何をやられても勝手なのですが、本文を忘れて欲しくないものです。
(というより、本文をきちんとやっていれば、一般人のように煩悩に身をまかせることはないと思います。。)
これは警察官が犯罪者を見て見ぬふりにしているのと同罪ですよね。