野口英世は幼いころ手をやけどして手を開くことができず、まわりから「てんぼうてんぼう」といじめられていた。
いつの時代でも「いじめ」というものはあり、子供はある意味「無邪気すぎる」ため残酷なものだ。
特に昭和の時代のいじめは、貧乏、体の不自由な人、宗教的なことなど、人と違うことが少しでもあるといじめの対象になっていたような気がする。
(ちなみに野口英世の父親は大酒飲みで、母親が助産婦で生計を支え、学校での成績は優秀だったそうです)
ただ今と昔、違うことはまわりの大人が子供達に対しての接し方が違っていたと思う。
昔の大人達は「一貫」していた。
悪いものは悪い。良い者は良い。と大抵の人が同じ方向を向いているため、大人達が子供に注意する言葉には「ぶれ」がなく、子供はそれに従わなくとも「悪いものだ」という罪の意識を垣間見て反省する機会もあった。
同じいじめでも「バレたら叱られる」という後ろめたさの中でのイジメであったのだと思う。
それが、今ではどうだろう。
一般常識を知らない社会性のないバカ親が増え、ぶれだらけで歪んでいる。
ひとりの大人が注意しても、まわりの大人が容認するせいで説得力に欠け、「罪の意識のないイジメ」が蔓延しているような気がしてならない。
いじめる方は、大人達から叱られない。いじめられるほうは、かばってくれる人がいない。
こんな大人達の中にいたら、野口英世のように逆境を跳ね返そうと努力しようという気持ちよりも、世間を否定する気持ちにしかなれないのでないか。
僕達大人が襟を正さなければいけないと思う。
悪いものは悪い。良いものは良い。そう伝えることのできる無邪気な勇気と隣人を愛する心。
綺麗ごとのようだが、今の時代に一番欠けているものだとあらためて思う出来事だった。
<いじめ問題特集>
2006年10月25日
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