2006年11月14日

尊い命が失われぬよう、とにかく行動を。

毎日子供の自殺報道が取りざたされている中、ますます子供の自殺が増えている。
そしていつものごとく、「盛んに報道するから子供が感化されて自殺に走るんだ」と言うやからが出てきた。
ちょっと待ってそうだろうか? 親はどうしてる? まわりの大人達はどうしてる?
これだけ報道されているのに、自分の子は大丈夫かと気にならないのか?
これを機に、どうしてもっと話し合おうとしないのだろう?
あとを絶たないということは、話し合っていないからなのではないのか?

学校にしても然りだ。
何故、宿題として両親と話し合ったことの感想文のようなものを出すという発想がないのか?
算数や国語と言ったものばかりが宿題じゃないはず。
「命について親と話し合おう」というような宿題を、学校のほうからテーマを与えて10日に一度いや、一ヶ月に一度でもいい、そんな気の利いた宿題を出すことを文部省は通達してもいいと思う。

子供を守るべき大人達が間違っている。
設計図もないまま、とんちんかんなことをしているので、おかしなことばかり。
何の行動を起こさずに問題をかかえたまま、ちんたらやっていたら一般企業だったら左遷ものですよ。
これだけ問題となっているのに、具体的なアクションも起こさず、ワーワー騒いでいるだけの大人達が情けなく思えてきた今日このごろです。
posted by NoiZ at 09:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 事件・ニュース
この記事へのコメント
少年犯罪などの事件報道でもある事なのですが、
報道を受けて、
「もしかしたらウチの子も」
「ウチの子に限ってそんな事はない」
「(他人事として)大変だ。ふーん」
といった反応があると思います。
この3つの中の下2つがマジョリティの大人の反応のような気がします。
そして仮に一番上の反応をしたとしても行動できないのが
マイノリティの中のマジョリティだと思います。
そして、一旦報道熱が冷めてしまうと、事件のことをすっかり忘れてしまうことも何の解決もできない原因なのではと。
いじめ問題は20年間も放置され続けてきたとも言われますし。
「テレビを観てる暇があったら、リアル世界の子供をしっかり見ろ」と言いたいですね。
Posted by 中原 at 2006年11月14日 19:38
中原様
「正しいこと」の価値観が多数であれば正義、少数であれば悪という判断基準が顕著になっているように思えます。
悪いものは悪いと少数の人が言えばパラノイアとして受け止められるような世界が、大人の世界、子供の世界に蔓延しているような気がしてなりません。
それこそ、マジョリティの中に慣れ親しみ「本当のことの」の感覚が麻痺しているような気もしますね。
Posted by NoiZ at 2006年11月14日 23:27
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